江戸庶民を困らせた毛むくじゃらの「殿様」:犬屋敷の知られざる真実
奇妙な「犬屋敷」の物語:江戸を騒がせた毛むくじゃらの殿様たち
平和な江戸に突如現れた「異変」
江戸の町は、いつだって活気に満ちていました。魚河岸の威勢の良い声、行商人たちの呼び声、子供たちの賑やかな笑い声。しかし、五代将軍 徳川綱吉公の治世も中頃を過ぎた頃から、町の空気は少しずつ、しかし確かに変わっていきました。
人々は通りを歩くたびに、妙に肩をすくめるようになりました。道の真ん中で堂々と寝そべる動物を避けるためです。役人の目が光る中、その動物を傷つけたり、追い払ったりすることは、もはや命がけの行為だったからです。それは、将軍様が出された、あまりにも奇妙で、そして絶対的な法令「生類憐れみの令」が生んだ、江戸の町の新たな光景でした。
この法令は、単なる動物愛護の精神から出たものではありませんでした。そこには、綱吉公の個人的な事情や、当時の複雑な社会状況、そして何よりも、常軌を逸した熱意が絡み合っていたのです。そして、その極致とも言えるのが、江戸郊外に突如として出現した巨大な施設、通称「犬屋敷」を巡る物語です。
五代将軍 徳川綱吉と「生類憐れみの令」
五代将軍 徳川綱吉公は、「犬公方(いぬくぼう)」というあだ名で知られています。これは、彼が極端なまでに犬を保護したことに由来します。綱吉公は、幼い頃から病弱であり、また世継ぎに恵まれませんでした。当時、子宝に恵まれないのは殺生を好むためだ、という迷信や、易者や僧侶の進言もあって、彼は徹底的な殺生禁止の法令を発布するに至ったとされています。
これが「生類憐れみの令」です。初めは、捨子や病人の保護など、今日で言うところの福祉的な側面も持っていました。しかし、次第に対象は広がり、犬や猫、鳥や魚、さらには蚊やハエといった小さな虫に至るまで、生き物全般の殺生や虐待が厳しく禁じられるようになります。違反者には、罰金どころか、遠島(離島への追放)や死罪といった重い刑罰が課されました。
法令はエスカレートの一途をたどり、中でも「犬」に関する規定は異常な厳しさとなります。野犬が増えても追い払えず、町は犬だらけとなりました。人が犬に噛まれても、犬を傷つけた方が罪になる、といった信じがたい話も伝わっています。
中野に作られた巨大な「犬屋敷」の奇妙な光景
増えすぎた犬への対策として、幕府が考え出したのが、犬たちを収容する施設でした。そして、江戸郊外の中野に、驚くべき規模の「お犬小屋」、通称「犬屋敷」が建設されます。その広さは実に20万坪(約66万平方メートル)とも言われ、現在の東京ドーム約14個分に匹敵する広大な土地が、犬のためだけに費やされたのです。
この犬屋敷には、江戸中から集められた数万匹とも言われる野犬が収容されました。しかし、そこに集められた犬たちは、決して粗末に扱われたわけではありません。むしろ、驚くほど手厚く保護されました。
犬たちには、一匹ずつ「犬医者」がついて健康管理を行い、食料には高価な米や魚が惜しみなく与えられました。犬たちのための小屋は清潔に保たれ、冬には暖房まで完備されていたと言います。まるで、犬たちがこの屋敷の「殿様」であるかのようでした。
毛むくじゃらの「殿様」と翻弄される人々
この犬屋敷を維持するためには、莫大な費用と人手が必要でした。その費用は、もちろん幕府の財政、ひいては庶民の税金から捻出されました。また、数万匹の犬たちの世話をするために、多くの人々がかり出されました。旗本や御家人の一部は、この犬屋敷の管理を命じられ、その職務に苦労しました。さらには、江戸の町人たちまで、犬屋敷の清掃や餌やりなどの雑役に動員されたのです。
人々は、この異常な状況に困惑し、不満を募らせました。道を歩く野犬を避けるだけでなく、犬屋敷の維持のために自らの生活が圧迫されるという現実。良かれと思って出された将軍の法令が、人々の暮らしを歪め、理不尽な負担を強いる結果となっていたのです。
犬屋敷での犬たちの「優雅」な暮らしと、それに仕える人々の苦労。この対比は、生類憐れみの令という極端な法令が、当時の社会にどれほどの混乱と歪みをもたらしたかを雄弁に物語っています。
法令が教えてくれること
犬屋敷は、綱吉公の死後、宝永6年(1709年)に生類憐れみの令が廃止されるとともに閉鎖されました。数万匹の犬たちは各地に引き取られたり、放たれたりしたと言われています。広大な犬屋敷の跡地は、後に開発されて現在の東京の街並みの一部となっています。
生類憐れみの令、そして中野の犬屋敷の物語は、歴史の中でも特に奇妙なエピソードとして語り継がれています。将軍の個人的な信念や思想が、時の権力と結びついた時、それが良くも悪くも社会全体に大きな影響を与えることがある、ということを示しています。
善意に基づいていたとしても、現実離れした理想や、極端な思想は、時として人々の生活を混乱させ、理不尽な状況を生み出すことがあります。毛むくじゃらの「殿様」たちが闊歩した江戸の一時期は、現代社会を生きる私たちにとっても、法のあり方や権力、そして社会におけるバランスについて考える、一つの示唆を与えてくれているのかもしれません。
歴史の教科書には詳しく載らないかもしれない、こうした「知られざる」エピソードの中には、今を生きる私たちが共感したり、驚いたり、そして学んだりできる、人間味あふれる物語が詰まっているのです。