歴史エピソード図鑑 ~物語編~

ピタゴラス、数学よりも恐れたものとは? 奇妙な「豆禁止令」の物語

Tags: ピタゴラス, 古代ギリシャ, 歴史上の人物, 知られざるエピソード, 哲学, 教団, 豆禁止令

数学の父の意外な一面

「ピタゴラス」と聞けば、多くの人がまず思い浮かべるのは、「ピタゴラスの定理」ではないでしょうか。直角三角形の辺の長さに関する、あの有名な定理です。彼は「数の父」とも呼ばれ、数学の発展に計り知れない貢献をした偉大な人物として歴史に名を刻んでいます。

しかし、ピタゴラスは単なる数学者ではありませんでした。彼は哲学者であり、神秘主義者でもありました。そして、彼が創設した「ピタゴラス教団」は、単なる学問を教える学校ではなく、非常に厳格な規律の下で共同生活を送る、独自の宗教的なコミュニティでした。

この教団については、秘密主義であったため多くのことが謎に包まれています。ですが、いくつかの断片的な情報から、彼らが驚くほど奇妙な「掟」を持っていたことが伝えられています。中でも特に私たちの好奇心をくすぐるのは、「豆を食べてはならない」という掟です。

なぜ、あの偉大なピタゴラスが、弟子たちに豆を食べることを禁じたのでしょうか?一見、数学や哲学とは全く関係のないこの奇妙な掟には、一体どのような意味が隠されていたのでしょうか。今回は、この「豆禁止令」にまつわる知られざる物語を紐解いていきましょう。

南イタリアの賢者と謎の教団

紀元前6世紀頃、現在のイタリア南部にあたるマグナ・グラエキア(古代ギリシャ人が植民した地域)のクロトンという都市に、ピタゴラスは移り住みました。彼はそこで、志を同じくする人々を集め、「ピタゴラス教団」を設立します。

教団のメンバーは、男性も女性も含まれ、財産を共有し、共同生活を送りました。彼らは数学、音楽、天文学、哲学などを学びましたが、その目的は単なる知識の習得にとどまらず、魂を浄化し、宇宙の調和と一体となること、そして究極的には魂の輪廻からの解脱を目指すことにありました。

教団の規律は非常に厳しく、外部との接触を避け、教団の教えや掟は一切外部に漏らしてはならないという秘密主義が徹底されていました。メンバーは沈黙を守ることや、特定の食べ物を避けることなど、様々な禁忌に従わなければなりませんでした。

その中でも最も謎めいており、後世まで語り継がれたのが、あの「豆を食べるな」という掟だったのです。

奇妙な「豆禁止令」の真実?

では、なぜピタゴラスは豆を禁じたのでしょうか?古代の人々は、この奇妙な掟について様々な解釈を試みました。明確な答えは残されていませんが、いくつかの有力な説が伝えられています。

説1:魂の輪廻との関連

古代ギリシャでは、魂が肉体を離れた後、別の肉体に移り変わるという「魂の輪廻(メテムサイコシス)」の思想がありました。ピタゴラスもこの思想を信じていたとされています。

ある説によれば、豆は魂の宿る場所、あるいは死者の魂の乗り物と考えられていました。ピタゴラスは、豆を食べることは死者の魂を冒涜する行為、あるいは自らの魂の輪廻に影響を与える行為であると見なしたのかもしれません。

また、別の説では、豆の形が人間の胎児に似ているため、生命の始まりと関連付けられたという考え方もあります。豆を食べることで、まだ宿っていない魂や、輪廻の途上にある魂を傷つけてしまうことを恐れたのかもしれません。

説2:死や冥界との関連

古代の信仰では、豆が冥界の入り口や死者と関連付けられることがありました。例えば、ある地域の祭りで豆が供物として使われたり、死者を悼む儀式で豆が登場したりした記録があります。

ピタゴラスは、この世とあの世の境界を強く意識していた哲学者です。豆を避けることで、冥界や死の穢れから身を守ろうとした、あるいは教団の神聖性を保とうとしたのかもしれません。豆を食べることは、死の世界に足を踏み入れる行為だと考えた可能性も指摘されています。

説3:生理的な反応との関連

もう少し現実的な説もあります。豆類、特にソラマメなどを食べた後に起こる、お腹の張りやガスは、人によっては非常に不快なものです。また、特定の種類の豆には、加熱が不十分だと中毒を起こす可能性のある成分が含まれています。

ピタゴラスは、これらの生理的な反応を不純なもの、あるいは魂の浄化を妨げるものと考えたのかもしれません。瞑想や精神的な集中を重んじる教団にとって、身体的な不快感は避けたいものだったはずです。豆を食べることで精神が乱されたり、身体が不調をきたしたりすることを恐れたという説です。

また、非常に稀な病気ですが、ソラマメを食べた後に重度の溶血性貧血を起こす「ファビズム」という遺伝性の疾患があります。ピタゴラスや教団のメンバーの中に、この疾患を持っていた人がいたのかもしれません。もしそうだとすれば、「豆禁止令」は医学的な理由に基づいた、切実な掟であった可能性もゼロではありません。

掟が招いた悲劇?

ピタゴラス教団の厳格な規律と秘密主義は、外部から見ると異質で不気味なものに映ったようです。やがて、教団はその影響力の大きさから、周辺住民や権力者との間に軋轢を生じさせます。

そして、教団は激しい迫害を受けることになります。教団の建物は焼き討ちされ、多くのメンバーが殺されました。

この迫害の際に、ピタゴラス自身がどのように最期を迎えたかについても、いくつかの伝説があります。有名な伝説の一つに、迫害から逃れるピタゴラスが、目の前に広がった豆畑を前に立ち止まり、どうしてもその中に入ることを拒んだため、追っ手に捕まって殺されてしまった、というものがあります。

これが真実かどうかは定かではありません。しかし、もしこれが事実だとするならば、ピタゴラスにとって、数学や哲学といった彼が探求し続けた真理以上に、あの奇妙な「豆禁止令」が、文字通り命を捨てるほどに重要な掟であった、ということになります。

謎は深まるばかりだが…

ピタゴラスの「豆禁止令」。その真の意味は、今となっては完全に解き明かすことはできません。魂の輪廻、死との関連、生理的な理由、あるいはそれらを複合した、当時の人々の世界観に基づいた何らかの象徴的な意味があったのかもしれません。

しかし、この奇妙なエピソードから私たちは、歴史上の偉人たちの意外な一面や、当時の人々の独特な世界観、そして集団を維持するための「掟」の持つ意味深さを垣間見ることができます。

教科書には載らないような、こうした「知られざるエピソード」に触れることで、私たちは歴史をより身近に感じ、当時の人々の息遣いや思考に思いを馳せることができるのではないでしょうか。ピタゴラスが数学と共に探求した宇宙の調和と、彼が弟子たちに課した謎めいた「豆禁止令」。その物語は、私たちに歴史の奥深さと、人間という存在の不可思議さを静かに語りかけているのです。